書道・ペン字の上達と鑑賞眼について

ペン字

こんにちは、晃碩です。

日々、字をコツコツ練習してるものの、「自分は本当に上達しているのだろうか」と思うことはないでしょうか。

私もこのように思うことがよくあります。日々練習しているのに何度も書き直しをして、実は全然上達していないのではないか…と疑ってしまいます。

これについて私なりに考えてみたのですが、上達しているかどうかは今回のタイトルにある「鑑賞眼」が深く関わってくるかなと思いました。

鑑賞眼」の意味をネットで調べてみると、「芸術作品を味わい、その真価を見きわめる能力」とあります。

私は、今はこの鑑賞眼こそが上手くなるために一番重要な要素なのではないか、と思うほどになっています。

何度も書き直しをするのは、一見失敗しているので成長していないと思われがちです。

ただ、実は鑑賞眼が成長していたために、今書いた文字は失敗だった、と判断した可能性もあります。

以前の自分の鑑賞眼レベルであればOKとしていたところを、目が成長しているので結果失敗となったのです。

そう考えると、毎回早い段階でいい字が安定して書ける、というのが長期間続くのは危険かもしれません。目が全く成長していない可能性があるからです。ただ、本当に技量が上がっていて安定している可能性もあるので、そこは冷静に分析・判断していきたいですね。

数年前に書いた字を見返した時、何てひどい字だ…と思ったこと、皆さんも経験があるのではないでしょうか。ただ、その字は当時の自分の目にはそれなりに書けているように映っていたはずです。鑑賞眼が成長しているので、確実に上達していることになります。その鑑賞眼のレベルに合わせて書き続ければ技量も上がっていくかなと思います。「鑑賞眼の成長」→「技量の向上」の繰り返しですね。

これは理想的な成長の仕方だと思いますし、書家が苦しむ要因の一つでもあります。

鑑賞眼という単語を教えてくれたのは初代晃碩(父)なのですが、以前父が「書家は苦しい。先行して目が肥えていく(=鑑賞眼の成長)のでいつまでたっても完璧な字が書けない。」と言っていました。

ただ、私はこの点をプラスに捉えたいと思います。完璧にはなれなくても、完璧に少しでも近づくためにこれから先ずっと書を追究し続けることができます。これを喜びとしていきたいですね(^-^)

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